花のあとさき

歴史用垢です。幕末、特に新選組を中心とした話が主になると思います。書簡や当時の暮らし、文化にも興味があるのでその辺りも書ければ良いなぁと思います。Twitter:http://twitter.com/sochan_0530
歴史用垢です。
幕末、特に新選組を中心とした話が主になると思います。
書簡や当時の暮らし、文化にも興味があるのでその辺りも書ければ良いなぁと思います。

Twitter:http://twitter.com/sochan_0530
壬生寺なう。

壬生寺なう。

最近毎日のように友達から『今日の壬生寺』と称して動画が送られてきます。



新選組好きな私には一見有難い話に聞こえますが…。実はそうでもないという(笑)
何故ならその動画は夜中のもので、更には自転車で走り抜けるものだから。



自転車の揺れか、手振れなのか、映像がブレブレで、結構いい勢いで壬生寺に迫っていき、すぐに切れるものが毎晩1時近くに送られてくるものだから軽くホラー。



夏の夜を涼しく過ごすにはとてもいいアイテムなのでツイッターに載せようと思ったのですがツイッターに動画は載せられず…ここならば!!と思ったのですがここも駄目なようですね。



しかし、折角なので動画と並んで珍しく朝撮ったらしい写真を。



この辺に住んでいたころ好んで夜にもふらふら壬生寺の門前まで行っていた私ですが、朝と夕方の壬生寺が一番好きです。
朝日に照らされた壬生寺も、夕日に照らされた壬生寺も甲乙つけ難い美しさ。



そして人が少ないという素晴らしさ。



壬生塚に入るには時間の都合が悪いけれど、壬生寺に行くなら門が開閉する時間帯!!とここで強く推しておきます(笑)

切捨御免。

またの名を無礼討ち。


武士が持っていた特権の一つです。
百姓や町民から無礼を受けた場合、その相手を武士が惨殺しても罪にならないというもの。
自分たちの威厳や名誉を守るための自己防衛とでも言うべきでしょうか。
当時の記録としては「手打ち」という言葉で残っているようです。



この「無礼」って何をしたら「無礼討ちしても良い無礼」になるのでしょう。
「無礼」と感じる行為は人によって違っていたでしょうし、曖昧なものですよね。
藩などによって細かい取り決めがあったかも知れませんが、時代劇でたまに見かけるような、町人が武士を怒らせるような事をしてしまって、必死で謝っているのにも関わらず斬ってしまう。これは無礼討ちとは認められません。

武士を怒らせてしまうような行為(刀に当たるなど)→それに対して武士が咎めても謝らない→その人間を斬る
この流れで初めて無礼討ちとなります。
無礼討ちは武士の特権であって、武士同士でも成り立ちます。



勿論、理不尽に無礼討ちされそうになった場合は抵抗しても良く、脇差でならば刃向っても良いとされていました。
寧ろ切り捨てられそうな方も武士ならば、抵抗しなければ恥とされ、例え生き残ったとしても厳しい処分が待っていました。



切捨御免と、斬ってはい終わりではなく、後の手続きが色々と面倒です。
斬られた方に原因があるとは言え、人を一人斬っているわけですから当然と言えば当然ですよね。



無礼討ちをした場合、すぐに役所に届け出、斬った刀を証拠として一旦取り上げ、そしてこれが無礼討ちであったと証言してくれる承認が必要となります。
暫くの謹慎となる場合もあったようです。



証人がいないと切捨御免と認められず、その場合、斬首、お家取り潰しという厳しい刑が言い渡されました。
そのため、証人が見つからない場合、刑が決まる前に切腹してしまう人がほとんどだったようです。
因みに、無礼討ちにしようと刀を抜いたにも関わらず、相手に逃げられてしまった場合、これも不名誉なこととされ、処罰の対象でした。
武士にとって都合の良いものかと思いきや、意外と厳しいのが切捨御免なのです。



おまけに言うと、他の藩や領の者を斬るということは、切捨御免であってもその相手の所属するところに対する反逆とみなされる事もあり、正当な切捨御免ならば罰を受けることは当然ないでしょうが、風当たりは強かったと思われます。



そんなわけでリスクが非常に高く、実際は切捨御免と認められたものは多くないようです。




身分差のあるご時世で高い地位にいた武士は町民や百姓にとって憧れや恐怖の対象だったのかもしれませんが、武士も武士で何だかんだと決まりごとに縛られて、肩身の狭い思いをしながらもそれを見せないように威張って見せていたのかもしれませんね。
そう考えるといつの世も世知辛いなぁ…。
「志」。

「志」。

前回のブログ記事に戴いたコメントの内容が面白いなぁと思ったので私もその句ひとつだけを見たものではないけれど、少しばかり解釈を書いてみようかなぁと思います。



しれば迷ひ しなければ迷はぬ 恋の道      



これも『豊玉発句集』の中で一、二を争う有名な句ですね。
本人も恥ずかしかったのか丸で囲んでボツ作品としてしまっています。
(丸で囲むという表記は「傑作」ではなく「ボツ」という意味合いです)



この句、くずし字をそのまま活字化してみることで魅力が増すと思っています。



志礼ハ迷比 志奈希連ハ迷者努 恋の道



「し」という文字に「志」のくずし字があてがわれていることが私の中での最大のポイントです。



この字を使われている句は『豊玉発句集』の中ではもう2句あります。


しれば迷ひ しらねば迷ふ 法の道
志礼者迷比 志ら禰者迷ふ 法の道


願ふこと あるかもしらず 火取虫
願ふこと ある可毛志ら須 火取虫



いずれも「知る」という意味合いの部分に使用されているのは分かるでしょうか?



私はこれを見て、彼の「知」への前向きな姿勢というか、貪欲さというか…文字通り「志」の様なものを感じました。



「しれば~恋の道」にもし続きがあるとしたら、迷うと分かっていても知りたいという意味合いの言葉が来るだろうし、「しれば~法の道」ではどちらにせよ迷うのなら知りたいと土方さんなら言うのだろうなぁと思います。



因みに「知」という意味でそのままの漢字を使われている句はひとつです。



朝雪の 盛りを(も)知らす 伝馬町
朝雪乃 盛りを(も)知ら須 伝馬町



上に書いた他の句と「知」の意味合いが少し違う気がしませんか?
大きく違うのは詠んだ本人の興味の有無だと思います。



「し」を表す文字は沢山この発句集の中に出てきますが、他は「し」で表記されています。



「し」を「志」で書くことが土方さんの癖ではなく、意識して書いたものだとしたら私の解釈も大方間違いではないのかも…?なんて思えてきます。



自分の解釈とはいえ、彼を見習って「知る」ということ、「知識」に対して貪欲でありたい。飛躍するけれど、私にとって学ぶことに前向きになれる句です。



※句の下側に書いてある漢字表記(釈文)の方に関しては私の解読の為、参考までにお願いします。
梅は梅。

梅は梅。

新選組副長・土方歳三が遺した『豊玉発句集』の中でも有名な

梅の花 壱輪咲ても 梅ハ梅

という句。



迷句として取り上げられる事の多い句だけれど、少し見方を変えてもたら良い句に思えてきた。



例えば人を梅に例えて詠んだものだと解釈してみる。
すると、周りからどう見られていようと、何を言われよと、「どんな自分だって『自分』」。だから自分のやりたいようにすればいいじゃない。という句に見えてきた。



他の句もそのままの真っ直ぐな句ばかりだから、土方さんがここまで意味を込めて詠んだとは思い難い。



でも、百姓の子に生まれたにも関わらず武士になることを夢見て、周りに何と言われようと自分の道を進んで行った彼の詠んだ句だということ、一般的に句や短歌などはそのままの意味を捉えるのではなく、詠み人がそこに込めたものを解釈することがあることからこんな考え方もありなのではないかなぁ、なんて思ってしまった。



そうやって歴史的なものを、一般的に言われていることをそのまま鵜呑みにせずに、自分なりに見方を変えてみるとより一層魅力が増すね。というお話し。
紐の結び方。

紐の結び方。

新選組といえばすぐに頭に思い浮かぶくらい有名なあの浅黄色の羽織。




実際に使用された期間も短く、物自体が残っていない事からあやふやな記憶の中のものでしかなく、絵などで描かれていてもだんだらの模様が袖のみのものや裾にもついているもの、と統一されることはない。



全てにおいて共通しているのはだんだら模様がついているという事くらいだろうか。


色は浅黄色の物が多いとはいえ、黒色の物、白い物もあったという話もあるので。



もう一つ共通と言えば羽織だから当たり前といえば当たり前ではあるが紐が付いているといったところか。




この紐に関しては、
「長く、邪魔であったため後ろにまわして結んでいた」
といった記述があることから背中に結び目がある事が多い。



しかし、ここで謎が一つある。



何故新選組の羽織は紐が長かったのかということである。



前述の通り、羽織自体は一般的な物である。
にも関わらず、紐を背中にまわして着ている様を新選組を除いて見たことがない。
それどころか、長い紐をだらしなく垂らして着ている人も見たことがないのである。



つまり、もともと羽織の紐というのは大した長さを有していないのだ。



とすると、隊服として羽織を注文する際にわざわざ紐を長くするよう頼んだこととなる。



しかし、それが着る際に邪魔になることは明白だろう。



それは背中にまわしたところで同じである。



実際、私が羽織を着て木刀を振った時には紐が肩からずり落ちてきて気になって仕方がなかった。



その紐に関してもう一つ。



先日、隊服の紐の結び方なる画像を見つけた。上記のものである。



そもそも紐が長かったという事実が怪しい中、この結び方とはどこから来たのだろうか。



恐らく後に考えられた方法だろう。



羽織の紐が長い例が他にないのである。一般的な結び方としてある訳ではないと見て良い。



歴史書、小説、ドラマ、漫画・・・多くのもので描かれる新選組。
そのトレードマークとも言える羽織。
これからもどのような羽織が描かれるのか、注目していきたい。











・・・・・論文風の文章運びに疲れました。
ただ紐の結び方の画像を見つけたので軽く自分の考察を書きたかっただけという。



あまりに有名な新選組の羽織ですが実は謎だらけ。
本物が見つければ幕末好きにとっては世紀の大発見となるでしょうね。
会津に興味を持ったきっかけ。

会津に興味を持ったきっかけ。

懐かしいものが出てきた。




2007年の新春ドラマスペシャルを特集している雑誌の切り抜き。




この年は白虎隊の生き残り、酒井峰治さんを主人公としたドラマだった。



既に新選組が大好きだった私は関連して会津藩の事も会津戦争の事も一応は知っていたし、勿論白虎隊の事もどういったものか知ってはいた。




でも、そこを中心として見たことはなかったから放送前からとても興味があったのを覚えている。



主人公の酒井さんは、平成5年に本人が書いた手記が見つかるまで、彼が白虎隊士だったことを誰も知らなかったとか。




飯盛山で自刃した若い白虎隊士たちも勿論苦しかっただろうけれど、敗戦後生き残った会津の人たち程死ぬよりも辛い中を生きた人はそういないのではないかなと思う。




それでも生きて、会津の復活を祈り、奔走した会津の人たちの強さ。




時代や世の中が違えど見習うべきところは沢山ある。




久しぶりにドラマを見直そうかな。